米沢藩古式砲術保存会(山形県)

fck20090110155154f8f2e9460f92cd2d 上杉家と鉄砲の係わりは、藩祖謙信公が春日山に居城していたときに遡ります。当初上杉家に入った流派は岸和田流であり、影勝公上洛の際には鉄砲組を編成しています。慶長6年会津120万石から米沢30万石に減封されてからも鉄砲は「戦用第一の利器」として製造と砲術練磨に力を注ぎました。種子島流の丸田九左衛門盛次や稲富流の大熊伝兵衛を抱え、代々鉄砲頭として努めています。又、鷹山公の時代に入り森重流を招いています。他に小野里流、關流、霞流などの流派も取り入れています。明治38年尚武要鑑会を結成し火縄銃の演武を上杉神社に奉納。昭和30年に尚武要鑑会を再興し、集団演武の際、宮坂善助翁が中心となり、稲富流を主に構成し、米沢藩稲富流鉄砲隊としました。昭和54年から現在の米沢藩古式砲術保存会として活動しています。大筒、中筒を用いているので重量感があり、音も大きく米沢の雷筒といわれています。

種子島新生社印刷社 全国火縄銃カレンダーより許可を頂き転載しています

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